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高校卒業直後に走った四国一周サイクリング

高校卒業後の春休み、安いMTBと最小限の装備で挑んだ四国一周・約1000km。嵐、峠、野営の日々。知識も計画も足りないなか、10泊11日で走り切った初めての自転車旅には、“初心者の今”にしか味わえない景色がありました。
体力難易度:★★★★★
技術難易度:★★★★☆
距離の目安:約1000km(本格旅)
目次
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この記事でわかること|こんな人に届けたい

やってみたい気持ちがある、でも踏み出せないあなたへ

「いつか、自転車で旅してみたい」
「テントを積んで自由に走ってみたい」
そう思っていても、装備やお金、知識がネックで踏み出せない人は多いと思います。

この記事は、高校卒業直後、大学入学前の春休みに、ほぼノープラン&初心者装備で四国一周(約1000km)に挑戦した体験記です。

当時の私は、安いMTBと最低限のキャンプ道具を手に、夜行バスで高松へ向かいました。
はじめての長距離旅。無謀だったけれど、あの10泊11日の経験は、今でも心に残っています。

失敗だらけでも、旅はちゃんと進んでいく

出典 : ameblo.jp

この旅では、正直言って失敗もたくさんありました。

・テントは嵐で水浸し
・野宿予定なのに泊まれる場所が見つからない
・日暮れの峠越えで心細くなる
・寒さで眠れない夜も…

それでも不思議と、走っているうちに道は開けていきました。
旅人に声をかけてくれる地元の人や、快晴の海沿いの道が、折れかけた心を支えてくれたのです。

この記事でわかること・得られるヒント

この体験談では、以下のような内容を具体的に紹介します。

  • 実際に走った四国一周のルート(時計回り/10泊11日)

  • 安価なMTB+テント泊装備での旅のリアル

  • 初心者でも旅を成立させるために必要なこと

  • トラブルの乗り越え方と学んだこと

  • これから四国を走る人へのアドバイス

「いつかやってみたい」と思っているなら、今がそのときかもしれません。
完璧じゃなくても、旅は始められます。

5万円のMTBと黄色いテントで出発した春の朝

はじめての相棒は、5万円台の中古MTB

出典 : specialized-store.jp

この旅のために新しく購入したのは、中古で5万円台のスペシャライズドのMTBでした。
ロードバイクはパンクが怖そうだったので、できるだけ頑丈なものを選びたかったというのが理由です。

太いタイヤは安心感がありましたし、荷物を積んでの長距離移動には向いているように思えました。
ツーリング向けというわけではありませんでしたが、初心者の自分にはちょうどいい選択だったと思っています。

ちなみにこのMTBはしばらく活躍しましたが、平塚海抜0メートルから富士山5合目の直登ライドのときに大破し、お役御免となりました。

憧れのゴアライトと最低限のキャンプ装備

出典 : rabbits301.com

テントはゴアライト
昔読んだ旅人のエッセイで知り、黄色いシングルウォールに憧れて購入しました。
今でも販売されているのかはわかりませんが、当時は“旅に出るならこれ”という気持ちで選んでいます。

寝袋はPAINEの羽毛タイプ。マットは銀マット。レインウェアもPAINEでした。
今振り返ると、どれも最低限の装備。
グローブもなければ、自転車用のボトルやスマホマウントの存在すら知りませんでした。

装備にこだわるというより、揃えられる範囲で最低限持っていったという感じでした。
パンク修理セットも持ってなかったですね。パンク修理は自分では出来ないと思っていたので。

つまるところ、経験者が語る最適な装備がなくとも、十分にサイクリングないし自転車旅行は成り立つ訳です。私もサイクリングを始めたいという人に意見を求められることがたまにありますが、常にスモールスタートを進めてます。

夜行バスで高松へ|輪行もトラブル続き

東京から高松までは夜行バス+輪行で移動しました。
輪行袋に入れるのも初めてで、前輪は簡単に外せたのですが、後輪のギア周りの処理でかなり手間取りました

さらに、夜行バスに自転車を積むには本来事前予約が必要だったのですが、それを知らずに乗車。
現地で運転手さんに頼み込み、なんとか乗せてもらえました。本当に申し訳なかったです。

高松に到着後、駅前で自転車を組み立てて出発……と思いきや、今度はブレーキの調整が上手くいかず、走っては調整の繰り返し
結局、ちゃんとスタートするまでにかなり時間がかかってしまいました。

ルートは「時計回りで四国を一周する」というだけで、宿泊地や細かな計画はまったく決めていませんでした。
必要な道具は揃えたつもりでしたが、当時は“旅の進め方”そのものがよく分かっていなかったというのが正直なところです。

嵐から始まった四国一周|10泊11日・時計回りの旅

序盤夜、嵐に見舞われる

旅の序盤、まだ1泊目か2泊目だったと思います。
その夜、強い風と雨に見舞われました。

宿は使わず、ライダーズハウスの庭にテントを張らせてもらっていたのですが、張った場所が悪く、テントの下が完全に水たまりに
しかも風が強すぎて、テントが潰れそうになるほどでした。

テント内は水が染み込み、寝袋やマットもびしょ濡れ。
スタート直後でいきなりメンタルを削られるような夜でした。

翌朝は一転して快晴

出典 : shikoku-tourism.com

ところが、翌朝になると空は晴れていました。
路面は濡れていたものの、空気はすっきりしていて走り出すにはちょうどいい天気でした。

前日が散々だったぶん、「ようやく旅が始まった」と思えたのを覚えています。
リズムはまだ掴めていませんでしたが、自転車に荷物を積んで海沿いの道を進むうちに、少しずつ調子が出てきました。

この日を境に、“とにかく走って、泊まる場所を探す”という日々がスタートします。

時計回りで進んだルートの概要

全体のルートは、以下のような時計回りの一周です。ちょっとどこで泊まったかは失念してしまったので、ざっくりルートだけ記載しておきます。AとかBとかが泊まった場所ではないです。結構前の話なので地名とか覚えているか不安でしたが、「阿南」とか「須崎」とか「宿毛」か、当時毎日地図で見ていた地名なので全然覚えてました。

高松 → 鳴門 → 徳島 → 阿南 → 美波町 → 室戸岬 → 安芸 → 高知 → 須崎 → 中村(四万十川) → 足摺岬 → 宿毛 → 愛南 → 宇和島 → 松山 → 西条 → 観音寺 → 高松

1日あたりの走行距離はおおよそ90〜120km前後。
ルート上には海沿いの平坦路もありましたが、後半になるにつれて山間部や峠越えが増えてきます

基本的にテント泊メインで、宿泊地はその日のペースと状況次第。
当初は日が暮れるまでに泊まれる場所を見つけようとしていましたが、うまくいかない日も多くありました。

知らなかったからこそ直面した現実|山中、峠、孤独

補給がない、泊まる場所がない

出典 : koumuin43.hatenablog.com

当時は「地図に道があれば、何かあるだろう」と思っていました。
でも、実際に走ってみると、道はあっても人も店もないという場所は珍しくありません。

コンビニや商店、自販機もなく、ベンチひとつ見つからないような区間もあります。
補給ポイントや休憩場所の目処がないまま進むと、予想以上に精神的な負担が大きくなります。

特に野営を前提にしていたので、「テントを張れる場所があるかどうか」は毎日の大事な課題でした。
無計画に峠に入ると、泊まる場所も補給も見つからないまま夜になる──そんなリスクがあることを、この旅で学びました。

土佐から須崎へ|一番心細かった夜

出典 : blog-imgs-168.fc2.com

一番印象に残っているのは、高知県の土佐市から須崎市へ向かったとき
通ったのは、県道23号だったと思います。

当時の自分は、「山中はアップダウンが多そう」「海沿いの方が平坦そう」といった“◯◯そう”に頼った判断でルートを選んでいました。
県道23号も、「多少遠回りでも楽そう」と考えて選びました。

でも、実際はまったく違いました。
アップダウンは多く、交通量は少なく、街灯もほとんどない。携帯の電波も不安定でした。

日が暮れてきても、町の明かりは見えず、「あと何kmか」も分からない。
真っ暗な山道で、ひたすらペダルを回し続けながら、頭の中では不安ばかりがぐるぐるしていました。

「山中泊って大丈夫なんだろうか?」
「どこか良さそうな場所があったら、テントを張ってみようか?」
「いや、さすがに山中泊は危険すぎるかもしれない」
そんなことをずっと考えながら走っていた記憶があります。

須崎の街の明かりがようやく見えてきたときは、心底ホッとしました。
そのままファミレスに入り、何を食べたかは覚えていませんが、とにかく落ち着きました。
テントは近くの公園か空き地のような場所に張り、泥のように眠った夜でした。

野営生活と、修行のような日々

天候については、初日〜2日目の嵐を除けば、全体的に恵まれていたと思います。
春の四国は気候も穏やかで、寒さや雨に悩まされる日はほとんどありませんでした。
朝晩の冷え込みも、防寒装備でどうにかしのげる範囲でした。

ただし、天候とは裏腹に、旅の内容自体はかなりストイックなものでした。
観光地に立ち寄ったり、ご当地グルメを楽しんだりといった余裕は、正直あまりなかったです。

毎日が「走る、食べる、寝る」の繰り返し。
どこまで走れるか、どこでテントを張れるか、そればかりを考えながら進んでいました。

今振り返ると、ある意味“修行”のような旅だったと思います。
言うなれば、高校の運動部の夏合宿のようなもので、「今となっては笑い話だけど、当時は本当にキツかった。今もう一度やれと言われたら無理」という感覚に近いです。

でもそれがあったからこそ、後になって印象に残る旅になっていると感じています。

それでも走ってよかった|心に残った“旅の断片”

室戸岬、四万十川、足摺岬、道後温泉

出典 : dogo.jp

四国一周の道中で、強く印象に残っている場所がいくつかあります。

まずは室戸岬と足摺岬。どちらも海沿いの開けた道で、走っていてとにかく気持ちが良かったです。
アップダウンはあるものの、視界が開けたときの景色は本当に爽快でした。

「ここまで来たか」という実感も強く、特に足摺岬は旅の中でも一番“端っこ感”のある場所でした。
絶景というよりは、「人力でここまで来たなー」という達成感が強かったというのが正直なところです。

四万十川も印象的でした。
市街地を抜けてから河口近くに出るまで、川沿いの道を静かに走っていくルート。
流れも穏やかで、春のやわらかな日差しと相まって、時間がゆっくり流れているような感覚になったのを覚えています。

私が普段生活している場所とは雰囲気が全然違っていて、「今、旅をしているんだな」と実感できた場所でもありました。

そして旅の後半、松山で入った道後温泉も忘れられません。
疲れがたまっていた時期で、ちゃんとしたお湯に浸かることができたのは本当にありがたかったです。
もし高松で帰りのバスを予約していなかったら、松山をゴールにして旅を終えていたかもしれません。

この旅では、観光に時間を割く余裕はほとんどありませんでした。
それでも、こうした場所に立ち寄れたことは、後になって振り返ると大きな記憶になっています。

交流は少なかったけれど、実在した"人の優しさ"

旅ブログや旅行記を読んでいて、よく出てくる「現地の人との触れ合いが~」という話には、正直少し懐疑的でした。
というのも、普段自分が暮らしている場所で、そういうことが起きるイメージがなかったからです。

自転車に大量の荷物を積んだ、どこの誰かもわからない旅人に声をかけようと思うか?
自分ならちょっと躊躇するかもしれません。正直、怪しく見える気もします。

今回の旅もテント泊メインで、基本的には人と関わる場面は少なめでした。
それでも、数えるほどの交流が、不思議なほど印象に残っています。

坂道で「がんばれ〜!」と声をかけてくれた小学生らしき子どもたち。
休憩中になぜかアメをくれたおばあちゃん。
夜に道を聞いたら、丁寧に教えてくれたコンビニの店員さん。

ほんの一言やちょっとした仕草でも、そのときの気持ちが少し軽くなるのを感じました。

知らない土地を一人で走っていると、そうしたちょっとした人の存在が大きな安心感になります
四国という土地自体が「旅人に慣れている雰囲気」を持っていることも、そうした空気を後押ししてくれたのかもしれません。

ゴールしたときに感じたのは、達成感より「安堵感」

出典 : shigoto100.com

ぐるっと時計回りに四国を一周し、再び高松に戻ってきたとき、まず感じたのは安堵感でした。
「終わってしまう寂しさ」ではなく、「はーーーー、終わったー」とホッとするような感覚が強かったです。

そのあとにじわじわと「ちゃんと走り切った」という達成感も出てきましたが、最初はとにかく安心した、というのが本音です。

最初は不安だらけで、正直「途中でやめても仕方ないかな」と思っていた部分もありました。
でも、走りながら少しずつ感覚をつかみ、日々の積み重ねが自分の中で“旅の形”になっていくのを感じていました。

高松に着いたあと、すぐに輪行して帰ったのか、もう1泊したのか…正直あまり覚えていません。
ただ、「この旅をやってよかった」という気持ちだけは、今でもはっきり残っています。

これから四国を走る人へ伝えたいリアルなアドバイス

経験が増えるほど、旅はスマートになる

出典 : bepal.net

自転車旅の経験を重ねていくと、徐々に装備の選び方やルートの引き方が洗練されていきます。
無駄が減り、トラブルにも冷静に対応できるようになり、旅は安全でスマートになっていきます。

実際、今の自分がもう一度四国を走るなら、もっと効率的に、もっと楽に回ると思います。
グルメ巡りもして、要所要所で温泉旅館にも泊まって、ルートも最適なルートを選ぶでしょう。
それはそれで良いことですし、そうあるべきだとも思います。

でも“初心者の旅”にしかない価値もある

出典 : shikoku-tourism.com

一方で、何も分からないまま挑んだあの旅にしかなかったものも確かに存在しました。

「これで本当に大丈夫かな?」
「やばい、もう日が暮れる」
「うわ、こんな景色に出会えるとは思わなかった」

そんな感情の振れ幅が、毎日のようにあったのは、無知だったからこそ味わえた旅の濃さだったと思います。

知識があれば避けたであろう道や選択の先に、思いがけず強く心に残る経験が待っていたこともありました。

“記憶を消してもう一度”には理由がある

よく映画や小説のレビューで、「記憶を消してもう一度見たい」と言われることがあります。
この旅もそれに近くて、もう一度初心者の自分に戻って、あの旅を体験してみたいと思うことがあります。

もちろん今の自分なら、もっと準備を整えて、もっと快適に、もっと効率的に走れるかもしれません。
でも、あのときの不安や達成感、安堵感は、あの瞬間にしか得られなかったものです。

そして今、この記事を書きながらふと耳に入ってきた玉置浩二の「メロディー」。
その中にある歌詞――「あの頃はなにもなくて、それだって楽しくやったよ」
まさにあの旅のことだな、と感じました。

これから四国を走ろうとしている人へ。
不安があっても、分からないことがあっても、大丈夫です。
今のあなたで走り出すからこそ見える景色が、きっとあります。

なんだかこの記事を書いていたら、私ももう一度、四国を走りたくなってきました。

※このブログでは、コースの詳細や見どころをあえて控えめに紹介しています。
はじめてその景色を見たときの「わっ…!」という感動を、できるだけそのまま味わってもらいたいから。
ルートの存在だけ知って、「あとは自分の体験で完成させる」――そんな旅のきっかけになれば嬉しいです。