はじめに|1本の巨木に出会うための冒険
巨木は“目的地”になる
日本の山々には、樹齢数百年、あるいは千年を超える巨木が各地に存在します。その多くは神社や集落の近くにある“ご神木”として知られていますが、本記事で紹介するのは、誰もが気軽に行ける場所ではなく、山深くにただ1本だけ存在する巨木たちです。目指すには登山靴を履き、地形図を片手に山道を数時間歩く必要があります。
こうした巨木は観光スポットとしては無名で、地図にも名前が載っていないこともあります。しかし、そのぶん辿り着いたときの感動はひとしお。「この1本に出会うためだけに山を登る」という体験は、トレッキングというアクティビティに新たな意味と目的を与えてくれるでしょう。
「難易度高」=価値がある道のり
今回ご紹介する5本の巨木は、いずれも中~上級者向けの本格トレッキングルートの奥に存在しています。林道終点からさらに未整備の尾根を進む、藪をかき分けてたどり着く、標高2000m超の峠を越える……といった冒険的要素もありますが、それだけに他では味わえない達成感と神秘の景色が待っています。
この記事の使い方
本記事では、それぞれの巨木について次のような情報を整理して紹介します:
アクセス(登山口情報・交通手段)
登山難易度(★5段階)
所要時間の目安
ルート概要
訪問時の注意点
登山経験をある程度積んだ方を対象にした内容となっていますので、初心者の方はまず中級向けのルートから段階的にステップアップしていくことをおすすめします。
それでは、山の奥で静かに佇む「本気で会いに行く価値がある巨木」たちを紹介します。
塩水の弁天杉(神奈川県)|千年の時を超えて生きる東丹沢の主
丹沢三峰の奥地、標高約1,200m地点にそびえ立つ塩水の弁天杉は、推定樹齢1000年を超えるスギの巨木です。幹周約6.45m、樹高34mという規模もさることながら、全身から放たれる野生の迫力が訪れる者の心を強く打ちます。観光地化された場所では得られない「本物の巨木」との出会いが、ここにはあります。
この巨木は、丹沢三峰のひとつ「円山木ノ頭(まるやぎのあたま)」へ向かう登山道の途中にひっそりと立っており、山域を知り尽くした一部の登山者にのみ知られてきた存在です。名前の由来は、地元・清川村塩水地区にある「弁天尾根」付近に位置することから。
踏み跡は不明瞭で、GPSやコンパスを活用した読図が必須。到達難度は高いものの、そのぶん「自分の足でたどり着いた」という達成感と、巨木の威厳を全身で味わうことができます。
― アクセス
小田急線本厚木駅から神奈中バスで「三叉路」下車、三峰登山口から入山
― トレッキング難易度
★★★★☆(一般登山道+不明瞭な支尾根)
― 所要時間の目安
約5〜6時間(往復)
― おすすめポイント
・樹齢千年超の圧倒的な存在感
・周囲に人工物のない、完全な自然の中の巨木
・東丹沢の静寂と原生的な雰囲気
弁天杉へのルートとアプローチ
本ルートは、三峰登山口からしばらくは明瞭な登山道をたどりますが、標高約1,000mを超えたあたりから尾根を外れて弁天尾根方面へと進む必要があります。ルートにはマーキングも案内もないため、事前に地図と情報を綿密に確認しておきましょう。
また、塩水地区から三峰登山口までは舗装道路ですが、交通本数が限られるためバス時刻にも注意が必要です。車でアクセスする場合は、林道の路肩駐車などにも配慮が求められます。
訪問時の注意点
雨後は道が滑りやすく、転倒リスクが高まります
巨木周辺は根を傷めないよう踏み跡に沿って観察を
夏季はヒル対策も万全に。虫除け・長袖が必須です
塩水の箒杉(神奈川県)|藪の奥にひっそり立つ野生の巨神
塩水林道の尾根奥深く、踏み跡すら定かでない急斜面に立つのが**塩水の箒杉(ほうきすぎ)**です。幹周は約6.3m、推定樹齢は700年超。表皮が荒々しく剥がれ、枝は四方に伸びるように張り出しており、まさに「野性のまま生き続ける杉」といった風貌。観光地では絶対に味わえない、秘境の巨木体験ができます。
この箒杉は、弁天杉と同じ清川村塩水地区の山中にありますが、弁天杉以上に到達難易度が高く、一般的な登山道は存在しません。林道終点から獣道のような尾根に取り付き、藪をかき分けながら進む必要があるため、地図読み・ルートファインディングの技術が必須となります。
到達時には周囲に他の人はまずいません。巨木と自分だけの時間が流れる、そんな貴重な体験がこの杉にはあります。
― アクセス
本厚木駅からバス→塩水橋下車。塩水林道を終点まで進み、そこから尾根へ
― トレッキング難易度
★★★★★(未整備・藪こぎあり)
― 所要時間の目安
約6〜8時間以上(往復)
― おすすめポイント
・訪問者の少ない、完全秘境の巨木
・全身に生命力を感じる野性的な樹形
・GPS・コンパス必須の本格ルート
アプローチ詳細とルートの概要
林道入口からは比較的緩やかな歩きやすい道が続きますが、途中で舗装が終わり、その先は荒れた未舗装林道へ。林道の終点付近から右手の尾根へ取り付く必要があります。獣道や古い作業道の痕跡もありますが、ほぼ道なき道を進むイメージです。
植林帯を抜けると、次第に自然林が増え、視界の開ける斜面に巨大な杉が姿を現します。GPSや事前の踏査記録の確認は必須です。
注意点と装備について
藪漕ぎ対策として長袖・手袋・スパッツ推奨
脱出ルートが取りにくいため、単独行は避けるのが望ましい
訪問前には最新の登山レポートやGPXログを参照すること
大ダワのイチイ(東京都)|雲取山で出会う静寂のイチイ巨木
東京都最高峰・雲取山の登山道途中、大ダワと呼ばれる鞍部近くにひっそりと佇むのが、大ダワのイチイです。標高1750mを超える亜高山帯に位置するこの巨木は、幹周約4.5m、樹高約18m、推定樹齢600年とされ、イチイ(一位)の中では非常に珍しい大きさです。
イチイは成長が遅く、長寿でも巨木になる個体は稀。特にこの個体のように標高の高い風衝地で数百年もの歳月を生き抜いた姿は、静寂と力強さを併せ持つ“山の守り神”のような存在感を放っています。
訪問には、鴨沢登山口から雲取山までのロングトレイルを要し、通常は1泊2日の行程が推奨される本格ルート。ただし、ルートはよく整備されており、テント泊や山小屋泊の経験があるトレッカーには非常に人気の高い縦走路でもあります。
― アクセス
JR青梅線・奥多摩駅→西東京バスで「鴨沢」下車→雲取山登山道へ
― トレッキング難易度
★★★★☆(長時間・標高差大)
― 所要時間の目安
約10〜12時間(登り8時間+下り4時間、1泊推奨)
― おすすめポイント
・東京都内とは思えない亜高山帯の静寂な森
・イチイとしては異例の大きさと風格
・雲取山の絶景と合わせて楽しめる充実の縦走路
雲取山登山と大ダワの立ち位置
大ダワは雲取山の手前にある鞍部で、標高差と距離のある行程の中で一息つけるポイントでもあります。この周辺は自然林が広がり、特にミズナラやイヌブナ、そしてイチイの古木が点在。目立たない場所にあるため、見落とさないように注意が必要です。
登山道自体は明瞭で、道標もしっかりしており、初心者にはきついものの、装備と時間に余裕を持てば安全に挑戦できるコースです。
宿泊・装備の検討を
山小屋:七ツ石小屋・雲取山荘など(要予約)
テント泊の場合、指定地を事前確認し計画的に行動を
水場は限られているため、行動食・水の確保は計画的に
モミの巨木(埼玉県 小鹿野アルプス)|登山道奥地の神聖なるモミ
埼玉県西部、秩父山地の小鹿野町にある般若山(はんにゃさん)周辺は、「小鹿野アルプス」とも呼ばれ、静かな稜線歩きが楽しめる知る人ぞ知るエリア。その稜線の奥深くに、圧倒的な存在感を放つモミの巨木が立っています。
モミの木は通常、幹が細くすらりと伸びる樹形が特徴ですが、この個体は幹周約6.4mという驚異的なサイズを誇ります。モミとは思えないほどの太さと風格に、思わず足を止めて見上げたくなる荘厳さ。訪問者の間では「神が宿るモミ」とも呼ばれ、ひっそりとした森の奥で独特の神秘的な雰囲気を漂わせています。
一般的な観光登山者は少なく、静かな山旅を好む人にこそ訪れてほしいスポットです。
― アクセス
西武秩父駅→町営バスで「小鹿野役場」下車→登山口までタクシーまたは徒歩
― トレッキング難易度
★★★☆☆(やや長め・静かな稜線歩き)
― 所要時間の目安
約4〜5時間(往復)
― おすすめポイント
・モミとは思えない巨幹と神々しさ
・静寂な登山道と原生林の雰囲気
・人の少ない穴場的な巨木スポット
ルート解説と森林の様相
登山口からしばらくは植林帯が続きますが、徐々に自然林が増え、稜線に出ると風通しのよい開けた道に変わります。この稜線を東進した先に、登山道からやや外れた場所にモミの巨木がひっそり立っています。途中には目印が少ないため、地形図やGPSによる位置確認が重要です。
付近は熊の出没も報告されているため、熊鈴やラジオの携行を推奨します。
モミの木を安全に楽しむために
周囲はぬかるみや倒木が多く、足元に注意
季節によっては落ち葉でルートが不明瞭になるため慎重に行動
写真撮影時も根の保護のため、踏み込みすぎないよう配慮を
千本カツラ(栃木県 加蘇山)|黄葉に包まれる幻想的な古木
加蘇山(かそさん)の山中、加蘇山神社からの登山道をたどった先に現れるのが、千本カツラと呼ばれる巨大なカツラの木です。幹周は約9.6mに達し、根元から無数に株立ちした姿は「千本」の名にふさわしい迫力。秋になると黄葉に包まれ、幻想的な風景が広がります。
カツラは巨木が多い樹種ですが、これほど見事な株立ちの姿を持ち、かつ山中にひっそりと佇むものは稀。湿潤な谷筋に生育するため、水源の気配と苔むした足元が神秘性をいっそう引き立てています。
比較的標高の低いエリアにあるため、積雪リスクも少なく、秋から晩秋にかけてのトレッキングに最適なルートです。
― アクセス
JR日光線「鹿沼駅」からバスまたはタクシーで加蘇山神社へ。神社脇から登山道へ入山
― トレッキング難易度
★★★☆☆(整備された登山道と軽い沢沿い歩き)
― 所要時間の目安
約5〜6時間(往復)
― おすすめポイント
・株立ちの巨カツラが放つ圧倒的な存在感
・秋の黄葉が特に美しい絶景ポイント
・地元の信仰と結びついた神秘的な雰囲気
加蘇山神社からの登山ルート
加蘇山神社の境内奥から、よく整備された登山道が伸びています。初めは緩やかな杉林を進み、やがて沢沿いの自然林へ。木橋や丸太階段が設置されている箇所もあり、登山経験があれば無理なく歩けるコースです。
千本カツラは沢沿いの奥まった地点にあり、ルート上の案内板や赤テープを見落とさないことが重要です。
訪れる際のポイントと注意点
沢沿いの道は湿って滑りやすいため、滑り止めのある登山靴推奨
秋は紅葉狙いの登山者もいるが、平日は比較的静か
巨木の根元はぬかるみやすく、撮影時にも慎重に行動を
行く前に知っておきたい!本格巨木トレッキングQ&A
Q. 巨木までのルートは地図に載っていますか?
一般的な登山地図に記載されていないこともあります。今回紹介している箒杉やモミの巨木などは、登山道から外れた場所にあり、詳細な地形図や登山者の記録(GPXログなど)の確認が必須です。ヤマレコやYAMAPで事前調査しておくと安心です。
Q. ソロで行っても大丈夫ですか?
技術があっても、藪漕ぎやルート不明瞭地帯ではソロ行動は避けるのが無難です。特に塩水の箒杉や雲取山縦走などは、天候や体調不良時のリスクが高いため、2人以上のチーム行動を強く推奨します。
Q. 巨木の周囲に立ち入り制限はありますか?
明確な柵や立入禁止区域がある場所は少ないですが、巨木の根は非常にデリケートです。むやみに近づいたり、根の上に立つのは避けましょう。撮影や観察は踏み跡を尊重しつつ、自然に敬意を払って行動することが大切です。
Q. どの季節がベストシーズンですか?
場所にもよりますが、春(新緑)と秋(紅葉)が最もおすすめです。夏はヒルや虫の発生が多く、冬は標高の高い場所で積雪や凍結のリスクがあります。特に雲取山などは厳冬期装備が必要になるため、無雪期の訪問が現実的です。
Q. 必携装備はありますか?
下記の装備を最低限持参しましょう:
コンパス・地図(またはGPS端末)
防水登山靴・雨具・防寒着
行動食・水(山域によっては水場がありません)
熊鈴・ライト・応急セット
スマホ+予備バッテリー(登山アプリの利用可)
特にルートが不明瞭な箇所では、地図アプリの使用とバックアップ手段の両方が重要です。
まとめ|一本の木に会いにいくという贅沢な時間
今回ご紹介した5本の巨木は、どれも観光ルートでは辿り着けない、本格的な登山を必要とする“山奥の一本”です。アクセスの難しさや時間的な制約こそありますが、そのぶん、たどり着いたときに得られる感動や静けさは、他の登山では味わえない特別な体験となるはずです。
なかには藪をかき分ける必要のあるルートや、1泊2日の縦走が前提となるルートもありますが、いずれの木も「自然の偉大さ」や「時を超える存在感」を全身で感じられる価値ある存在です。
一本の木に出会うためだけに山を登る。
その行為には、地図にも載っていない“自分だけの目的地”を持つ登山の醍醐味が詰まっています。
少しの勇気と準備、そして自然への敬意をもって、ぜひこの贅沢な時間を体験しに行ってみてください。あなたのトレッキング人生に、新たな意味が加わるかもしれません。